ローマ法王フランシスコは、いかにして教会内の性的虐待を隠蔽したか
5月7日に次のローマ法王を決めるコンクラーベが開始される。聖職者による性的虐待を訴える団体は、次期ローマ法王に性的虐待への取り組みを求めた。なぜならフランシスコは隠蔽していたからだ。
フランシスコは性的虐待に大甘だった
2025年4月25日にローマ法王のフランシスコ教皇が亡くなり、次期ローマ法王を選ぶコンクラーベが5月7日から始まる。コンクラーベは世界中から集まった枢機卿が投票を行う。
聖職者虐待を終わらせる会(End Clergy Abuse:ECA)は、コンクラーベに参加する枢機卿たちに書簡を送り、性的虐待問題に取り組み、身の潔白な教皇を選ぶよう要請した。
彼らは性的虐待を認めたか、あるいは立証された司祭を永久に解任するよう求めている。
虐待の生存者グループ(SNAP)も、「我々は、それがコンクラーベの中心的な問題であるべきだと信じている」と表明した。
前任のベネディクト教皇は、性的虐待を容認しない「ゼロ・トレランス」を公約した。フランシスコ教皇もゼロ・トレランスを引き継いだが、批評家たちは「ゼロ・トレランスには程遠かった」と評価しているという。
【1】マルコ・ルプニク~20人をレイプし、抵抗した女性の腕をへし折る
「アンナ」と呼ばれる58歳の元イタリア人修道女は、マルコ・ルプニク司祭による9年間の虐待を「地獄への転落」と表現した。
ルプニクはスロベニア出身の司祭で、モザイク芸術家としても知られ、フランシスコ教皇の友人だったと言われている。
ルプニクは芸術家として、イエス、マリア、聖人たちを題材にした作品を制作し、教会は何億ポンドもの予算を彼に与えていた。
アンナは21歳の時、彼の「カリスマ性」と「人の弱さを見抜く感性」に惹かれて入信したという。しかしルプニクは自分の作品を説明しながらアンナの身体に触り、「聖体を捧げる祭壇にはこうやってキスをするのだ」と言いながらキスをしてきたという。
そして彼女は処女を失った。
フランシスコ教皇が復帰させる
ルプニクには修道女や女性信者に対する性的・精神的虐待の疑いが長年にわたり報告されていた。ルプニクは20人の修道女に性的虐待をし、抵抗した1人の女性の腕をへし折ったという。
バチカンやイエズス会が「性的虐待の信憑性あり」と認定したにもかかわらず、バチカンはルプニクに対して長らく処分を行わなかった。
2022年12月、ルプニクは破門された。しかしフランシスコ教皇は短期間で彼の破門を解除した。
2023年、イエズス会から除名されたルプニクが、スロベニアで司祭として復帰したというニュースが流れた。これに対して激しい批判が起こったため、仕方なくフランシスコ教皇は裁判に同意した。
しかし何も起こらなかった。
ルプニクの精液を飲まされた
2024年2月、ルプニクの被害者である元修道女のグロリア・ブランチャーニ氏、ミリヤム・コヴァック氏が記者会見を行い、ルプニクの性的虐待を告発した。
ブランチャーニ氏は3Pを要求され、「夕食時に”聖杯”としてルプニクの精液を飲まされた」と語った。コヴァック氏はルプニクに対する独立した調査を要求した。
2024年3月、イエズス会はルプニクに虐待された20人の女性に賠償金を提供した。
2025年3月、ようやく教理総監部がルプニク裁判の裁判官の人選を始めた。
【2】フリオ・グラッシ~アルゼンチンのジャニー喜多川
フリオ・グラッシはアルゼンチンで生まれ、哲学、宗教学を学び、1987年10月に司祭に叙階された。TVにも多数出演し、有名になっていたという。
彼は慈善活動を推進し、困っている子供たちへの財団を設立し、食料、衣料、教育、家、宗教教育を提供したという。
しかしこの財団は「隠れ蓑」だった。彼は「アルゼンチンのジャニー喜多川」だったのである。男児たちに性的虐待を繰り返していたという。
1991年に知人が、「グラッシが子供たちを性的虐待している」として、未成年者裁判所に被害届を提出した。また2001年7月には、財団の運営に関する不正が発覚した。
2002年10月、あるメディアが大規模な調査を行い、グラッシが15歳の少年に性的虐待を行っていた証拠を提示した。数日後にグラッシは出頭し、逮捕された。
フランシスコの助け船
2006年6月には17歳の少年が出頭し、グラッシから1998年~2003年の間に繰り返し性的虐待を受けたと明かした。また他の5人(11~17歳)もグラッシから虐待を受けたとされている。
2008年8月、グラッシは未成年者への性的虐待の2つの事件で裁判にかけられた。2009年、グラッシは懲役15年の判決を受けた。
しかしグラッシは、2013年に3件の判決が批准されるまで条件付き釈放を赦され、その間の服役を逃れている。2017年3月にアルゼンチン最高裁判所は、一審の有罪判決と懲役15年の判決を支持し、懲役が確定した。
当時ブエノスアイレス大司教だったベルゴリオ枢機卿(後のフランシスコ教皇)は、未成年の被害者を中傷する「反論報告書」を教会に作成させ、裁判に影響を与えようとした。
アルゼンチンの司法に影響を与えたのかと聞かれたフランシスコ教皇は「ノー」と答え、ではなぜ反論報告書を依頼したのかと聞かれると、「そんなことはしていない」と否定した。
【3】グスタボ・ザンチェッタ~フランシスコのお気に入り
グスタボ・ザンチェッタも、アルゼンチン出身の司祭である。1984年にアルゼンチン・カトリック大学で哲学を学んだ後、キルメスのレイナ・デ・ロス・アポストレス神学校とサント・トリビオ・デ・モグロベホ哲学・神学センターで学んだ。
1991年12月13日にキルメスのホルヘ・ノヴァク司教により司祭に叙階された。
ザンチェッタはフランシスコ教皇のお気に入りであり、2013年7月にフランシスコはザンチェッタをローマのオラン司教に任命した。最も早い司教任命の一つだった。
ザンチェッタに性的虐待問題が起きてからも、フランシスコは彼を擁護し、ローマ教皇庁の評議員に任命している。
2015年、秘書の一人が、ザンチェッタの携帯電話から性的な画像を見つけたと報告した。その中には若い人たちがセックスしている様子や、ザンチェッタの淫らな画像も含まれていたという。
フランシスコはザンチェッタをローマに召喚して聞き取りを行ったが、その後ザンチェッタの携帯電話がハッキングされたと表明した。
2017年8月、ザンチェッタは「健康上の理由」で辞任した。しかし12月にフランシスコは彼を呼び戻し、「バチカン財務査定官」に任命した。どこまでも大甘である。
2019年1月にバチカンは、ザンチェッタが性的虐待で告発されたため、職を停止したと発表した。6月、アルゼンチン検察はザンチェッタを2人の神学生への性的虐待で起訴した。裁判所はザンチェッタにアルゼンチンに戻るよう命じたが、8月にはローマに戻っている。
裁判は2022年2月に始まり、3月にザンチェッタは加重継続性的虐待の罪で有罪判決を受け、4年半の禁固刑を言い渡され、身柄拘束を命じられた。
アルゼンチン司教協議会は裁判所に許しを請い、和解を求めた。2022年7月にはローマの裁判所が、ザンチェッタの健康状態を考慮し、住居で軟禁状態で刑期を全うすることを認めるよう要請している。
2025年、アルゼンチンの裁判所は、ザンチェッタの神学生への性的虐待の有罪判決に対する上訴を却下した。
ザンチェッタは有罪判決を受けたにもかかわらず、懲戒処分を受けていない。
聖職者は性職者か
他にもアルゼンチンのアリエル・アルベルト・プリンシピ神父が、2024年9月に児童性的虐待で2度有罪判決を受けたが、フランシスコの側近で参謀長のエドガー・ペナ・パーラ大司教が復職させようとした。
この命令は取り消されたが、パーラはフランシスコと非常に親しかったと言われ、フランシスコの指示ではないかと疑われている。
なぜならパーラの独断だったとしても咎められていないし、フランシスコも黙認しているからだ。
教会内の性的虐待疑惑は後を絶たない。2002年に米国のメディアが大々的に取り上げた事を発端に、多くの報道が行われ、世界的に広まった。
左翼は未成年とのセックスを奨励
フランシスコは左翼グローバリストで知られている。左翼は未成年とのセックスを奨励している。その集まりである国連は2023年に「未成年との性的関係は合意の上と見なされることがある」と発表して物議になった。
何が「合意の上と見なされることがある」だ。ただ正当化したいだけだろ。相手はまだ判断がつかない年齢でしょうに。
左翼国連やその派遣軍の兵士たちが、ソマリアやコンゴや南スーダンなどで児童をレイプをしていたのがたびたび話題になっている。
最近もバイデン政権の保健福祉省が、児童人身売買に加担していたとロバート・F・ケネディ・ジュニアが暴露している。
ぜひ次期ローマ法王は伝統と秩序を重んじる保守派にしてはいかがなものか。でないと敬虔な信者たちを裏切ることになる。
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